昭和四十五年五月七日 夜の御理解
今日午前中にまぁ馬鹿らしい様な何にもならん様なむしろそれに腹の立つようなものも含めねばならない様なお金も出さなければならない様な事があったんですよね。そしてこうお包に包んでからほんとにもうこれは神様に対しても相済まんことだと例えば思わせて頂いて居りましたらね、神様からお取り払いと思えと頂きましたですね。私はもうこれを頂いてからはっとお道の信心はね、もう如何に充実した無駄の無い生き方をすることが信心かと云うことが教えられて居りますけれども一日の中に充実したところでは無くてまあほんとなあんにもならんお金、例えばお金を出す場合でもねけれどもやっぱ付き合いで出さなければならない。しかもなんか腹の立つようなものまで感じると云った様な場合が有りますよね。けれどもそういう時にです神様から一言お取り払いと思えとこう仰る、これがお取り払いになると思うたら今度は有難い。そのことは詰まらんいわばその嫌な金なんだけれどそれがだけのお取り払い頂きよると思うとお取り払い頂きよると云うことにはお礼を申し上げなければならない。そういう私は頂き方とか生き方がねその充実した生き方じゃないかと思うですね。これは金銭だけの事ではありませんけれどもそういうことが幾らもなあにもならん事だと思う様な事の中でもそこにお礼の申し上げれる様なものをその内容に持たせて貰える工夫が要ると思うですね。どうぞ。